韓国生活7年経ちました

ますます元気な3匹のネコも一緒です

記念切手の取り扱いはない…ですと?

相変わらず人と関わりたくないので、

聞きたいことがあっても

「多分こんなことだろう」と頭の中で予測して、

質問を回避しようとする。

 

でも、それじゃあ、ダメなんだよ、

もともと人と関わりたくない上に、

年を取ると、本当に何もかも面倒くさく感じることが増える。

「どうせ…」という言葉が増える気がする。

 

今日は、友人に手紙を出そうと思っていたのだけど、

ポストに入れれば終わる作業とはいえ、

どうせなら郵便局まで行って、記念切手で残っているのはないか聞いて、

もしあれば、次に手紙を出すときに使うために何枚か買おう、

そういうことにしよう、

今日のミッションは「記念切手の有無の確認」ということにして、

散歩がてら、ちょっと遠めの「国際郵便局」へ。

 

10年前に、ソウルの語学堂に勉強に行った時は、

もっと韓国語ができなかったし、しゃべることもさることながら、

ヒヤリングに自信がなかった。

田舎で独学していたので、読み書きだけは他の生徒よりはできたが、

しゃべれないわ聞き取れないわで悲しかったものだ。

だけど、今は、正直そういうレベルではないことは自分でもわかっているわけで。

いやになって辞めたけど、2年間韓国で事務職もやった。

今年はこっちの人でもなかなか合格しないという会計や税務の試験も受かった。

 

韓国語「を」勉強するのではなく、

韓国語「で」勉強する段階もある程度何とかなったことは、

自信につなげていいはずなのだけれど(年齢も年齢だし)、

だからなんだという部分もあるわけで。

受かったよ、でも仕事ないじゃんっていう…。

 

そういう諸々が、しゃべること、聞き取ることという基本的なことに

全く問題がないのに、人とは関わりたくないという状態になるのって、

それはもちろん、言語的能力と、心理的な問題とは全然違うんだろうけど…

聞けよ、聞いてだめならだめ、良ければいい、それだけじゃん、

言葉は聞くためにある、しゃべるためにある、

聞くことも、しゃべりたいこともなきゃ別になんともないけど、

聞きたいことがあるのに聞かないってのは、明らかにちょっと…だなと。

 

とにもかくにも、何か気になることが生じ、

どうしても人と関わらねばならない状況が待っているとなると、

葛藤が生じる。

 

「記念切手はあるか」

 

と聞くのすら、いやなんである。

ホントになんってことない一言なのに。

郵便局でも、別に「おめー、それはここで聞くことじゃねーだろ」とは誰も思わないような質問なのに。

いやなものはいやなんだけど、

今の私は、もう、些細なことで傷つきたくない、そのためには場数を踏まねばならないということなのは分かっているので…

そんなこんなのくだらないミッション。

 

結局、そこでは取り扱いはないんだと。

いわゆる「中央郵便局」とか「本局」とか言われるような、

大きな郵便局でしか扱わないんだそう。

 

…日本だと、特定郵便局みたいなとこでも扱ってるけどねぇ…。

日本も、発行部数なんかは減ってるだろうけれど、

でも、可愛い切手、かっこいい切手、芸術的な切手など、

物凄いジャンルの切手が発行されていて、楽しいけど、

韓国って、郵便事業は日本より更に厳しいんだと思う。

この世の中誰が郵便出すんだよ~って感じのムードなんだろうな…。

 

まあ、ひとまずこれでまた疑問が解決した。

次回は本局とやらに散歩がてら行ってみよう。